5 ワシントンの入れ歯

ワシントンは寡黙な人であったようだ。独立戦争の指揮官に選ばれたのは彼がバージニアの豊かな農園主であったこと、植民地軍の指揮官として武功があったこと、そしてまた190センチ  近い雄大な体格であったことから建国の父たちの間で、困難な戦いを指導するにふさわしい人物と思われたことである 。私は彼のプランテーション「マウントヴァーノン」を訪れたことがある。そして彼が息を引き取ったベッドも実見した。あまりにも小さなサイズのベッドだったので私は彼が小柄な人だと信じてしまったが、そうではなくて当時の人々の間では最も長身の部類であったろう。

ワシントンの肖像画を見ると彼が寡黙な人であったことがよくわかる。口元を引き締めた自省的な相貌である。しかしその口元はあまりにも固く閉じられていると言うか、不自然なほど口元の存在感がない。実はワシントンは20代の頃から慢性的な歯周病と言うべきか歯が健康ではなく、独立戦争が起こるころにはほとんどの歯を失っていた。そのせいでこの肖像画を描かせた時には健康な歯を一本も残っておらず、またそれゆえに雄弁家でもなかったのであろう。

そういうわけではワシントンは壮年の頃から入れ歯無くしては生きていけない人だった。独立戦争中には英軍から投降した入れ歯師を重宝して従軍させていた記録がある(サムエルソンアメリカ史)。

そのワシントンが使用した入れ歯が今も残っている。いささか気持ち悪いが画像を見てもらいたい。

当時の入れ歯の材料は木材、鉛、骨などであったが実はプランテーションで働く奴隷の歯も使用していた。健康な奴隷の歯を抜いて使用したものもあったと言われている。入れ歯の写真も気持ち悪いが、健康な黒人奴隷の歯を抜いて使用する方がもっと気持ち悪い。現代人には及びもつかぬが、これが「建国の父たち」の人権意識であった。独立宣言を起草したトマス・ジェファーソンは、 有名な農園「モンティチェロ」に600人以上の奴隷を所有していた。(ワシントンの農園「マウントバーノン」の奴隷は300人とも言われる)

早くに妻を亡くしたジェファーソンは、農園の黒人女性を伴侶としていたが、妻として正式に娶ることはなかった。彼の起草した独立宣言は、その前文で基本的人権を高らかに歌い上げた名文と評判をとり、その後の人権宣言のモデルとなったが、残念ながらその人権の世界には、奴隷たちが含まれることはなかった。彼の死後、農園は売り払われたが、奴隷たちは解放されることなく、競売で売りさばかれたそうだ。


奴隷船のニグロ競売を知らせるポスター

現代になって、当然ながら「建国の父たち」の人権意識を問う論議が活発になっている。「父たち」は奴隷解放は究極の理想として訴えてはいたが、その課題を実践に移すことはこの時期には難しかった、ようだ。

追記

上記の原稿を執筆したのは2019年の春であるが、現在(2020年7月初め)アメリカは”BLM Black Lives Matter黒人の命を守れ”運動を契機に多くの都市が混乱状態になり、シアトルでは自治区まで生まれた。

その副産物として始まったのが南北戦争以前の歴史の見直しで、リー将軍の銅像の撤去等を始めとして南部連合(南軍)の旗の撤去や、「風とともにともに去りぬ」の上映見直しなど、過激な歴史修正が始まった。私が上の章で触れたような建国者たちの奴隷観、奴隷の使用も槍玉に上がり始めた。

建国者達が奴隷を使用した実態、奴隷制への態度などを分析解明するのは賛成だが、歴史的モニュメントや過去の名画を今の基準で槍玉に挙げて葬ろうとする動きには反対である。

アメリカは何事につけても振幅が大き過ぎる社会である。人工社会だけあって自分たちの過去の歴史まで塗り換えられると思っているのは傲慢である。

今の基準で過去を振り返るなら、それは共産主義者のやったことと全く同じである。歴史・風土・文化、それはある国土に育った人間たちのかけがえのない資産である。

人間は自分の生まれ育った時代の「子供」である。全能の神ではない。新しい時代の人間が、それまで存在しなかった新しい尺度で過去を断罪するのは、とんでもない思い上がりでしかない。

 

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